声明略頌文の解説 |
真光院俊亮房 寂如(じゃくにょ)師が嘉永七年(1854)秋、師匠の高野山如意輪寺 弘栄前官の口説を録して秘讃伝授記とともにこの声明略頌文を著されました。現在では、伝授や講習会などで声明を習う前に読誦する習慣になっています。 |
声明略頌文(しょうみょうりゃくじゅもん) |
帰命声明三業一 | きみょう しょうみょう さんごうの いつ 帰命とは梵語で“南無” 帰依するという意味 声明とは梵唄の声曲をいう。この声曲には五音五調子を具す。五音五調子は五智五仏の妙音妙曲をあらわす。 三業とは弘法大師が真言宗の教徒が学ぶべき宗教と学術とについて三つの分科を設けるために三業度人制をとられた。御遺告釈疑鈔に三業とは金剛頂業、胎蔵業、声明業と説かれているように、大切なものとして位置付けされた。 |
調子一平双黄盤 | ちょうしは いっぴょうそうおうばん 十二律「一越(いちこつ)・断金(たんぎん)・平調(ひょうじょう)・勝絶(しょうぜつ)・下無(しもむ)・双調(そうぢょう)・鳧鐘(ふしょう)・黄鐘(おうしき)・鸞鏡(らんけい)・盤渉(ばんしき)・神仙(しんぜん)・上無(かみむ)」のなかで南山進流声明は一越・平調・双調・黄鐘・盤渉の五調子を使う。 詳細は「南山進流声明の音符と音階」を参照してください |
五音宮商角徴羽 | ごおんは きゅうしゅうかくちう 南山進流声明に使用する五音は宮商角徴羽の五つであることを示す。いわゆる西洋音楽のドレミファソラシドの七音構成に値するもの。 詳細は「南山進流声明の音符と音階」を参照してください |
初二三重十一位 | しょにさんじゅう じゅういちい 五音の宮商角徴羽に初重・二重・三重とある。これはいわゆる西洋音楽のオクターブにあたいするものである。三重×五音で十五位になるが、南山進流声明では音の高低を考慮して初重は下音なので宮商角の三音は低すぎて人間が発声できないため使用せず残り二音を使用する。また、三重は上音のため羽の一音が高すぎて発声できないため使用せず残り四音を使用する。よって、初重二音、二重五音、三重四音の合計十一音を使用するという意味。 詳細は「南山進流声明の音符と音階」を参照してください |
諸声明中成曲節 | しょしょうみょうのなかに きょくせつをじょうず この一句は上の句の結辞である。曲節とは単に曲の節という意味。いろいろな声明には曲の節があるという意味。 |
大小呂律地賓由 | だいしょうりょりつちひんゆ 南山進流声明のユリの種類について示す。大由は呂のユリ、小由は律のユリ、地由は荒由ともいい荒くゆる。賓由は和由ともいい、強くはゆらずゆるがす音である。 |
呂律中曲反音曲 | りょりつちゅうきょくへんのんきょく 南山進流声明には呂曲、律曲、中曲、反音曲があるという意味。 詳細は「南山進流声明の音符と音階」を参照してください |
是名四曲此道要 | これをしきょくとなづく このどうのよう この一句は上の句の結成である。是とは四曲のこと。四曲は呂曲以下の四種類の曲。此道とは声明道。要は至要の意味。 |
七隣甲曲四種反 | しちりんこうきょくししゅのへん 反音(へんのん)の種類をあげる。七声反・隣次反・甲乙反・曲中反の四種類であるが、前三種類は声明家に用いることはまれである。この中で曲中反がもっとも大切である。一曲の中に呂律がまじわっている曲を曲中反という。 詳細は「南山進流声明の音符と音階」を参照してください |
反徴反宮塩梅音 揚羽揚商 | へんち へんきゅう あんばいのおん 反徴とは徴角の中間音である。すなわち徴の半律さがる音である。黄鐘調にかぎる。反徴と由下と由リオリとは異名同体。反宮は宮と羽の中間音。すなわち宮の半律下がる音。揚羽揚商は反徴反宮と反して、揚羽は羽の半律上がる音。揚商は商の半律上がる音である。これらの曲は律曲に限る。塩梅とは料理の味を調える意味。甘い・辛い・苦い・酢っぱい・しおからいの五つの味を調和するには塩・酢の二種が要となる。もしこのニ味を抜けば美味ではなくなる。塩は塩、梅は酢をさす。 声明家に八箇の秘曲がある。反徴・反宮・自下・能断・揚羽・揚商・塩梅角・塩梅羽のことをいう。たとえば反徴は徴と角の中間音であり、徴の塩と角の梅によって秘曲を料理するごとく、徴角二音の塩梅によって美味の妙曲となるのである。 詳細は「南山進流声明の音符と音階」を参照してください |
順八逆六十二調 | じゅんぱち ぎゃくろく じゅうにのちょう 順とは時計回り、逆とは時計と逆回りをいう。たとえば一越より八個順にまわれば黄鐘を生ずる。こういった関係を示す。 詳細は「南山進流声明の音符と音階」を参照してください |
押下吹切自下等 | おしさげ ふききり じげとう 押し下げは角より商へ押し下げる曲をいう。また、単に押すともいう。対揚教主句の三密の密の博士がこれにあたる。吹き切りは羽の位にあるもので単に吹くともいう。覚証院と東南院との沙汰に違いがある。自下は、おのずから下がるという意味で、徴より角へおのずからかどもなく下げるというテクニックをいう。 |
法用顕密所作異 | ほうよう けんみつ しょさことなり 法用(法要)において四箇・ニ箇の差異がある。四箇とは唄・散花・梵音・錫杖の四つをいう(対揚は散花についたものであるから別立てはしない)ニ箇とは唄・散花のことをいう。四箇は顕立て、二箇は密立てに使用する。なおかつ、密立てには唄は云何唄を使い、散花は中段が大日散花となる。四箇のときは如来唄にして散花は釈迦・薬師・弥陀・地蔵・観音などの尊の散花を用いる。これを法用顕密所作異という。 |
博士点譜存口伝 | はかせ てんぷ くでんをそんす 博士とは声の行体。五音の形体を導くことを、世間のいう博士、学士にあてて、無学のものを指導する意味を転用したもの。はかりしるのうつり言葉である。点譜とは五音の節を記録して後世に継続するという意味。 存口伝とは、記録できない秘事を師匠から弟子に口授することをいう。存は問察するの意味。すなわち、博士点譜の口伝を問決深察して、後世に存在させるという意味。 |
魚山集中秘事多 | ぎょさんしゅうちゅう ひじおおし 魚山の意味は南山進流声明の習い方を参照してください。 また魚山の種類については南山進流魚山集を参照してください。 秘事多とは五音を五智五仏に配当するなどの秘事が多い。 |
重々秘諧入転深 | じゅうじゅうのひかい いるにふたたふかし 重々は軽いものではないという意味。秘諧とは声明の道という意味で、声明道には重々の階梯がある。すなわち、魚山集からはじまり、諸表白、諸法則、諸講式乃至三箇の秘韻にいたることをいう。入転深とは、魚山集から三箇の秘韻に進むことは無窮に深いという意味。 |
願従明師須審問 | ねがわくはみょうしにしたがってすべからくしんもんすべし 隆然師いわく。声明業に二種あり。一つは声明師、二つは声明士。声律の位調を明解し、相伝の秘曲に精通するを声明師とし、音韻清朗にして調声無窮なるを声明士とする。声明は音律の業であるからややもすればその所伝を誤失するものなり。ゆえに明師に従って審悉に問決しなければならない。 |
乃至余流楽家等 | ないし よりゅう がっけとう 乃至とは声明の学者は梵字真言、経文などを学ばなければならない旨が官符に書かれている。これらの所学を乃至のことばに包括する。余流とは、東寺・仁和・小野・醍醐・大原などを指す。特に大原は天台一宗の声明の本山である。楽家等について、なぜ声明家が楽家に学ぶかといえば、声明はもともと笛や琴の音をたよりに発声したものである。また、技楽は仏家必須の要具である。 |
心住寂静離分別 | こころ じゃくじょうにじゅうして ふんべつをはなる 以下の十句は声明道の幽至無窮を嘆ずる句である。心閑静にして分別を離れる |
久習純熟自得妙 | くじゅうじゅんじゅくすれば おのずからみょうをう 久習は長い間の困学をいい純熟は至篤練磨をいう。自得妙とは久学練磨の結果、妙音を得て法において自在を燈する意味である。 |
可仰可貴音律道 | あおぐべし たっとぶべし おんりつのどう 仰ぐべし尊ぶべし、音律の道を |
塔中讃詠法爾有 | とうちゅうさんにょう たらまにのう 秘密乗の梵唄は塔中流出であるので無造無作である義を明らかにする。声明とは大日如来の自受法楽である。金剛薩多が南天開塔のとき、芥子七粒をもって南方の扉を打ち開き、両部の大経及び三部の諸論を伝持された。そのときに声明の響きが空中にあった。梵唄の音空中に絶えることがなく、たちまちに両部の印契を伝附せりと。塔内の諸仏、一時に踊り讃の声を聞いてこの経王を讃じたと。これを塔中讃詠という。法爾有とは、秘密声明の一道は塔中流出にして、有造有作にあらざれば爾という。 |
五調五音本何者 五大五智自信仏 |
ごちょう ごおん もと なにものぞ ごだいごちじしんぶつ この二句は問答をもって声明業の深意をあらわす。はじめの句は五調五音の実態は何であるかという問いであり、それに対してあとの句が答える。五調五音の実態は五大五智である。自信仏とは五大は衆生の身であり理法身の仏である。五智は衆生の心であり識大である。すなわちこの識大は智法身の仏である。しからば衆生の身心は理智法身である。よって五大五智を自信仏という。 |
八万音声帰五音 五音各具無際音 |
はちまんのおんじょう ごおんにきす ごおんにおのおの むさいおんをぐす 八万とは満数をあらわす。無量不可思議の音声は無窮であり自在であることを表わす。無量不可思議の音声は五音であり、五音にはおのおの限りない音をもつ。 |
声字分明実相顕 | しょうじふんみょうにして じつそうあらわる この一句は声字実相義の文である。この大師の文章一句をあげることによって以上述べてきたところの声字調曲の妙用を明らかにする。声とは実際の音であり字とは実際の声を出すための長・短・高・下などであらわす文字である。いわゆるこの声字を心して唱えれば、実相すなわち本来の功徳が現実にあらわれるという意味。大変奥深い意味である。 |
自他同証大菩提 | じたどうしょうだいぼだい これは最末の一句。回向の意味を示す。これまでに明かしたところの声字調曲の甚深の意味、広大な功徳を自他に施して、この甚深広大な功徳力によって自他同じく大菩提の道を證せしめんと回向する意味。 |
意は南山進流大意略頌文解による